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■１■例えば｢嬲｣という漢字がある。1700年以上前に中国でできた文字で、日本語では(なぶ)ると読み、｢困らせたり苛めたりして面白がる｣という意味だ。ただし男が寄ってたかって女をいたぶるという字面的な意味ではない。男女平等を良しとする現今の創作でなく、同じ意味で｢嫐｣という異字体も存在した。

■２■中国では伝統的にこの｢嬲｣と｢嫐｣という字義は使い分けされていない。日本では平安初期の仏教説話集『日本霊異記』で既に取り入れ｢なぶる｣と読ませている。894年､遣唐使が廃止された。しかし日本人は中国から取り入れたものを、様々な形で改変して(今風の言葉で言えば魔改造して)使い続けている。

■３■論理的に同じ意味であっても文字は視覚的に捉えるものだから、必然的にイメージは異なる。日本人は字の形から連想した意味や自由な解釈をその字に新しく持たせもした。同性２人が１人の異性を引っ張り合う。12世紀頃（平安時代)の｢嬲｣の読み方は<なふる>で、｢嫐｣は<ねたむ>という訓があった(※)｡

(※)橘忠兼が編んだ国語辞典『色葉字類抄』(前田本･黒川本)

■４■｢嫐｣の｢女･男･女｣という字面から、先の女と後の女あるいは先妻と後妻という時間的差異も重ね、鎌倉時代には後家とか嫉妬という意味の｢うはなり｣という読み方も使われていた。市川家の歌舞伎十八番の演目『うわなり打ち』には、先妻が後妻(＝ウハナリ)に対して抱く嫉妬心や修羅場も描かれている。

■５■論理的に同じ意味と言っても文字は視覚的に捉えるものだから、情緒的にイメージは異なる。「嬲るよりは嫐られたい」と表現する感性はＳとＭの差ではなく男を共感させるものがある。ただし言葉は変化しゆく。日本文化が世界に浸透していく上で、この漢字の意味やイメージすらも更に変転していく。

■６■日本の食文化や漫画・アニメその他が世界に浸透し始めて久しいが、日本語やそこで用いられる文字にも注目が集まる。基本的単語でもある｢男｣｢女｣を含むこの漢字｢嬲｣を、早大教授の笹原宏之氏が、フランスの日本語学習者に見せて字の意味を尋ねてみた。すると、答は男２人が女性を｢まもる｣だった。

■７■色恋沙汰を連想する日本人の読み取り方からは想像の外だったが、教授はこの｢嬲(まも)る｣を日本語の国訓ではなく、フランス人の｢仏訓｣と呼んだ。その後別所では｢嫐｣をスペインの学生は｢しあわせ｣と、ドイツ人は｢ハーレム｣と答えたという。ただの笑い話ではなく背後にある文化的差異も見て取れる。

■８■トランプ大統領が｢性別は男と女の２つだけ｣とわざわざ宣言したが、先の質問に対する解答者の中には医学研究者もいて｢染色体異常者｣という解答もあったという。ここにはもう問いに対する答に正誤や優劣はない。日本人として当たり前に用いている日本語そのものの中にも反転して世界と未来がある｡

20250131 Friday