（０１８０）無知から未知への構の何と深く暗い事か

19871007-1　村岡先生のこと

　大学の３〜４年の時先生にはジョン＝キーツの詩のほとんどをゼミで教わった。キーツは２５歳で早逝したのだが、当時その事を聞いた「彼」はまだ２０歳であり、なんだ結構長生きしたじゃないかと感じたものだ。自分が２５になるなどという事は考えられなかった。もう自分は十分長生きしたと感じていたのだから、そんな事は想像を絶していたのだ。そして人生なんてあっという間に過ぎてしまうのだからできるだけ貧欲に生を楽しみ、思う通り生きてやれと考えていた。

　そんなある日、先生はふと説明を止め、二コニコしながらおっしやった。「人生は皆さんが考えているほど短くはありませんよ。」「彼」はその一言で人生の生き方のべクトルが変ったのを覚えている。その言葉は「彼」だけに響いたのかも知れないが、何かとても肯定的な響きがあった。民俗学を教えて下さった大森先生の「自分が本当に読みたい本は自分で書くしかないですね。」という言葉、そしてずっと後の半田有正氏の「因果は無い！」という言葉もそうだが、「彼」の生き方をより肯定的にかつ能動的にしてくれた言葉の―つだった。

　先生に付いて大字院に残り、現在大学で講師をしている友人によれば、当時かくしゃくとしていた先生も健康が思わしくないらしい。今はただ先生の御健康と長寿を祈るばかりだ。

19871007-2　「もう何も分からない！」と言う言葉が真実の叫びならば、それはそこから幾つもの向上への道が続き得る。何も分からないという事だけは取り合えず判っているという、確かな意識があるという事。少なくともそこを支点にして幾らでも、てこの原理で世界が分かり得る。

19871007-3　無知から未知への構の何と深く暗い事か。それを越えるにはその闇黒と見える断崖絶壁から飛び出さなくてはならないのだ。常に狂気へ飛び込む恐怖と闘いつつ正常意識を保ち、かつ正常意識そのものに甘んじる事なく意識野を広げ続けねばならない。しかし怖れるものは何もない。

吉祥寺百景（０８１）19871007