0008nights

　井の頭公園を歩いていたら人だかりがあった。その真ん中に子猫がいた。うずくまって動かない。何かに咬まれたのか首筋に痛ましい傷口がある。おじさん２人が暖かい声で元気づけている。女の子が撫でてやる。若い男子学生が牛乳を買って来てやる。おばさんが病院に連れて行かなくちゃねと連れに言う。みんな優しい。みんな何かしてあげたい。みんな他の人と共鳴しあって、その場は素晴らしく温かい振動場となっていた。

　でもみんな自分の世界がある。すべき事と、味わうべきくつろぎの時と、なすべき約束と･･･。心配そうに振り返り振り返りしながらその場を去る若いカップル｡家で飼う事もできず、ただ遠巻きに眺めつつその場を離れ難いので、ずっと立ち尽くしていた若いママが、小さな娘に何やら語りつつその場をついに去る。高校生の男女のグループが何かやり場のない怒りのような感情を持ったまま､互いにうながしあいながら街へ向かう｡

　みんな優しい。なぜか立ち止まりもせず、そこを足早に過ぎ去る人はいない。相談する。答えは出ない。交番に持って行っても仕方ない。誰か飼ってあげない？言い出しっぺがしゅんとするだけ。誰にも責任はない。センチメンタルなだけでは何も進まない。ちょっと悲しい顔をしながらやがて三々五々その場を去る人達。それでも人通りの絶えない昼下がり。幾人もの人がまたそこで立ち止まり、人の輪は絶えない。

　子猫は動かない。いや動けないのだ。手足がマヒしているようだ。頭すら上げられないでいる。声もでない。下痢でもしているのか、ショックのせいなのか、お尻にうんちがついている。おばさんがティッシュでそれを拭いてやっている。猫ではないが、公園で死に行く人をその回りで輪になってただ眺めている、そんなシーンがあった。カスタネダがドン・ファンとそれをベンチに座って見ていた、たしかそんなシーン･･･｡光り輝く繊維が、死に行くにつれて消えて行くのを見ろ、と言うドン・ファンにカスタネダは的外れな感慨を持つ。しかし私はそんなカスタネダが大好きだった。

　長い事･･･本当に長い事ベンチに座っていた私はいつの間にか立ち上がっていた｡私の部屋はアパートだから飼えない。病院に連れて行ってやる余分なお金すら無い。あの人だかりの横を抜けて、街に本を買いに行くんだ。それからカセットインクリボンとノートと画材と･･･｡目の前の女の子２人はさっきから過ぎ行く人達に「猫を飼いません?猫を飼ってくれませんか？」と聞いている。何と答えようか？アパート住まいでだめなんです。よく見ると今にも死にそうだ。取りあえず病院にだけでも誰か連れてってやったら･･･｡　

Ｐ.Ｓ.･･･私はバカです｡全くもって自分で呆れます｡今キーを打っている私の膝の上にはまだ名もない子猫がいます｡皆さん､笑ってやって下さい｡猫は辛うじて一命を取り留めました。首筋から血膿がそれこそ100CC近く出ました｡手足は相変わらずへろへろです｡初めて鳴く声を聞きました｡夜中にいきなり引き付けの痙攣を興した時は､なすすべがなく､途方に暮れるわけにもいかず､ただ押さえるように撫で付けてやるだけでした｡この猫はしかしこの後一体どうなるのでしょう｡そして私は一体･･･｡ちなみに部屋の中はうんちでまみれてしまい私の鼻は完全にバカになってしまいました｡それでも明日から取り敢えず明るく生きていこうと決心するのでありました｡　

19920605（上図は猫玉）