（０１８６）これは一体何が起こっているのだ

19871127-1　記録

　午前２時。道路で車が急ブレーキをかける音。その直後、動物の苦痛の絶叫が幾度か続いた。机に向かっていた「彼」は急に不安を感じた。飼っている猫が先ほど、外に飛び出して行ったばかりだった。不安を払い切れず、道路に行ってみた。見馴れた猫が瀕死の状態で横たわっている。「彼」はその首筋を摘み上げ、部屋に運び入れた。

　血へどを吐き、血の泡を吹き、不自然な恰好で床につぶれ込み、痙攣を起こしながら、喉から血を吐き出そうと叫ぶように鳴く。前足の肉が剥き出しになり、苦しみもがいている頭からは、血とリンパ液がダラダラと流れ出ている。「彼」は何もしてやれず、ただ撫でるだけだった。ストーブに火を付ける。やがてピクリとも動かなくなった。尻からは尿が流れ出し、瞳孔は開き切って大きな目が真っ黒になる。目を閉じてやろうとするが上手くいかない。口からはちぎれたような舌が覗いている。鼻の穴から脳漿の様な液体が流れ出している…。

　信じられない。これがその実感に近い。この猫が本当に死んだ。ついさっきまでゴロゴロとのどを鳴らし、フワフワと温かかった物が死んだとは、どうも良く分からない。しかし目の前にある物は冷たく、動いていない。いや時々尻の穴から小さな音がして、ガスが漏れているようだ。悲しいという気持ちは沸いて来ない。しかしこいつは本当に死んでしまったのだ。

　ストーブはチリチリと燃え、耳鳴りがする。あれをしてやれば良かったとか、こうすれば良かったなどという思いはない。ただ、こいつは脊椎を噛まれて死にかけたり、くる病になって死にかけたり、出産で死にかけたり、避妊手術で腹を切ったりしても生き延びてきた。絶対たやすくは死なないものだと決め付け、そう信じ込んでいた。こんなに、こんなにあっさり死ぬとは…。これは一体何が起こっているのだ。

吉祥寺百景（０８７）19871127