すでに見たようにピアノはその誕生から約１００年間、平均律ではなく中全音律や変則音律で調律されていた。もし私たちがその調律でのピアノの演奏を聞いたら、その調子っ外れさに耐えられたものではないだろう。また逆にルネッサンス時代の人を現代のクラシック・コンサートに招いてベートーヴェンのピアノ協奏曲を聞かせたとしたら、和音のバランスに気づく前に音の明晰さに打ちのめされ、そしてその大音量に耳を塞いでしまうに違いない。ピアノ以前の楽器は音が小さく、そして音の構造も異なっていた。また確かに和音は守られてはいたが、演奏自体は現在から見れば正確ではなかった。その不正確なものの中から自分たちの聴覚系を通してずれを修正し、純正な音程を増幅していたのだろう。

　鍵盤楽器の重要な特性の１つは、１人の奏者が同時に和音、つまり上下方向のハーモニーを鳴らせるということである。平均律以前には作曲者が自分の作品から不協和音を取り払うことができた。そしてピアノ以前には作曲者が望むハーモニーバランスへと、音律を演奏者が比較的簡単に変えることができた。調律師と作曲者と、そして多くは演奏者が同一人物だったのである。しかしピアノという新しい楽器は、その場ですぐに音程を整え直して音律を変えるということが不可能だった。様々な変化を本質的に拒絶するこの鉄と緊張のかたまりは、ささいな調律の変更すらも拒んだ。ピアノ調律は専門家の手に委ねられた。中全音程が不規則音程へと変わり、自然なオクターブの牧場の中で「狼」の音程を追い回した。

　中世ヨーロッパ人たちは調律を加減する方向性をネガティブと見た。８音が１２音に伸び、わずかな不協和音を我慢できる程度に高い長３度にしてしまうところまで行った。結果として到底我慢できない減６度と増２度が生じた。この「狼」音程をよけて演奏するか、逆に装飾によってそれを音楽的感興として処理していたものと現在では推測されている。正調音でも問題は避けられなかった。狼をいくら追い込んでもオクターブ牧場の外に追い出すことができなかったのである。そして駆逐することができないならばいっそ牧場の柵を等間隔にすることにより、たらいから水と共に赤ん坊を…ではなく狼と共に純正音程をも流してしまうという戦略に出たのだ。