#416　いいぞ、メビウス

■アウグスト・フェルディナンド・メビウスは物静かで控えめな人だった。あのメビウスの輪の発見者である。1790年生まれの彼は1868年に没した。18世紀の最後の10年と19世紀を生きたが、メビウスの輪を発見したのは没年の10年前だった。別に私はここでメビウスの個人史を連ねるつもりはない。彼が若かりし頃プロイセン軍に徴兵されそうになった時のリアクションに共感を覚えたことを記したいのである。

■メビウスは徴兵という考え方を愚にもつかないものと捉えていた。ましてや自分を徴兵するということはおぞましさの極みであるとして、そのようなことをあえて自分に言い出そうとする者は、鋭い短剣のひと突きを逃れることはできないだろうと宣言していた。繰り返すが物静かな彼がである。「いいぞ、メビウス！」である。それが効を奏したかどうかは知らないが、彼は結局１度も徴兵はされなかった。

■私も同じ年頃の時、戦争という考え自体の愚劣極まりない醜悪さとして捉えていた。私は私自身が国に徴兵されるという現実は絶対に「ありえない」と確信していた。メビウスほど穏やかな人間ではなかったけれど、短剣を使う勇気はないので、「もし万が一徴兵されたら、山奥に逃げ込んで出てこない」と言明していた。戦争が始まるならば山狩りに多人数を掛けたりしている暇はないはずである。

　　　

■万が一のさらに万が一、間抜けにも捕まってしまったとしても、頑として言うことを聞かない。ましてや他者が敵と定めた相手に対して攻撃しろなんて言う奴がいたら、私はその者が私の敵だと認識して徹底抗戦する。殺されそうになったら、その殺そうとする精神をあらゆる手を使って殺すだろう。実際に自覚なく私に手を下そうとする者を殺すことになったとしても。ああ、やはりメビウスと似ているかな。

■半世紀以上前の戦争とその後の影響を全身で味わった人たちの中には、それはとんでもない考え方だと烈火のごとく怒る者もいるかもしれない。しかし私が守るべき「日本」という素晴らしい存在は、この３次元にはない。昨今の政治家が唱え標榜するような「日本」では決してない。実際に私と多くの同胞が徴兵されぬまま現在に至っているので、その考えは無意味なのか。いやそれが今の私を在らしめているのだ。

■今物理的な戦争が起きても今の日本の若者の多くは平和主義的で戦わない者と、体力知力共に脆弱で役に立たない者が大半を占めるだろうから、年寄りの政治家達の望むような戦争はもはや不可能だろう。肉弾戦や目に見える敵との戦いは、日本人は多分とうの昔に卒業してしまっているのだ。ただ相手が見えず、バーチャルと現実の区別がつかない無意識的な戦争行為については注意が必要だろう。

■他者と戦う前に自分と戦う勇気がない者に、他者か自分の死を選択しろなどという要求をされるいわれはない。「イン・ラケチ…あなたはもう１人の私自身である」というマヤの言葉の本質を、メビウスの輪を自らの指先で辿ったことがある者は、その指先ですでに知っている。「殺す心を殺せ」という平和極まりない言明を、暴力的だと捉えたりナンセンスだと省みない者には高次元パンチが炸裂するだろう。

(on 20070712)

2007.07.21 Saturday