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■海に面した高い崖沿いに続く道を進むと、道端に何台か車が止まっていた。さらに
道なりに雲見海水浴場まで下ると、海岸に寄り添う夫婦のような二つの大岩の間に富
士山が遠望できる場所があり、そこに「雲見温泉露天風呂まで海岸から徒歩５分」と
いう案内板があった。先の車は露天風呂の近くに停車してあったのかと合点がいく。

■早速取って返して道端に駐車スペースを探すが、追突されそうでどこも危ない。し
かたないので近くにある雲見温泉｢赤井浜荘」という宿に駐車スペースを借りること
にした。宿の女将さんとの交渉の末、駐車スペースを借りることはＯＫとなったのだ
が、ふと気が付くと玄関の壁に「ガチンコ・ファイトクラブ」のポスターがあった。

　　

■『ガチンコ』とは火曜日の午後９時からジャニーズ所属のグループ「ＴＯＫＩＯ」
が出演するＴＶの番組であり、「ファイトクラブ」とはその中の、様々な練習や合宿
などをしてプロボクサーを生み出すためのコーナーだ。この番組のことをちょっと尋
ねると、女将さんはこの宿でよくその番組の合宿や撮影の収録があるんですという。

■話に誘われて建物の中に入ると、壁に歴代ボクサーや格闘家のサインや色々な大学
のボクシング部の名前があった。隣りの部屋にはボクシングのリングまである。宿の
ご主人も昔ボクサーで、今でも多くのボクサーと親しく付き合っているそうだ。長い
こと面白い話を聞くことができたが、本来の目的を思い出してそこをおいとまする。

　　

■道路から外れて崖の間の下り坂の細道を約30mほど降りていくと、コンクリート製
のトーチカのような建物があった。脱衣所だった。そのすぐ向こうに、美しい入り江
を背景にした人工の岩風呂があった。すぐ下の入り江の波打ち際には何艘ものシーカ
ヤックが止めてあり、湯船の中にはその持ち主達が数人のんびりとつかっていた。

■しかし私がやって来たのを認めると、彼らはそこを快く空けてくれた。湯船に惜し
みなく注ぎ込む湯は少しぬる目だが、水面にきらめく夏の陽光がそれを温めて心地よ
い温度にしてくれている。無色透明の湯の湯質は、pH7.5のカルシウム・ナトリウム?
塩化物泉だ。眼前の海と空の色と光が目に染みるような色合いを見せてくれている。

　　

■トイレはないが着替える場所はある。ここもまた無料の町営温泉なのだ。地元の人
たちと、掛け流されている温泉と、眼前の美しい光景に感謝しつつ、晴れた空の下に
ぽつんとある湯船と、その中に浸かっている自分という有機生命体の関係性を考える
。そしてゆらゆらと水面に映っている「考える自分」というものをただ眺めてみる。

■その時のその場所のその考え方と感じ方の２つとない独自性。湯の中で日光に晒さ
れていると、ここに在るでもなく無いでもないような感覚になる。お湯と身体が別々
でも一つでもないような不思議な気分。湯船の中でいつまでも水平線を見詰め続けて
いたいような、そしてすでに遥か昔からずっとそうしていたような記憶にない記憶。

　　
　　　　　　(※)脱衣所と建物を下から見たところ。この画像は「井伊部長の温泉グルメ探訪」
　　　　　 http://onsen.surugabank.co.jp/ より借用。

■この体半分景色半分の二而不二な感覚を覚えている限り、それを思い出すことがで
きればいつでも、この時と場所の感覚もホログラフィックに取り戻す事ができるに違
いない。さてでは、浸り過ぎずに出発することにしよう。急な坂道を登って赤井浜荘
の駐車場に戻り、宿にお礼を言ってから伊豆半島の先端に向けて再び走り出した。

★所在地：静岡県加茂郡松崎町雲見

人生丸ごと湯治日記（５３６）　20020731 re.