 さて２階でのお茶出しだけれど、給湯室といってもドアは開けっ放しのまま薄い壁１枚で経たてられているだけなので、久しぶりに訪れて話をする墓参客の話は聞こうとしなくてもよく聞こえてくる。昔はお寺が井戸端会議的なレベルを越えてカウンセリングや癒しの場だったけれど、今でもそれは年配の方々にとっては変わらないのである。また若い人たちにしても余り他者には晒さない親族同士のいざこざや自慢も、先祖が祭ってある寺社では自然に流れ出てくるのであろう。今年も色々と聞くともなく聞くことになった。
私はもうかなり慣れてしまっているのだけれど、今回初めて手伝ってくれたごう氏は、この普段の日常生活ではプライバシーや世間体の壁でおいそれとは耳にすることがない正直でリアルな世間話に心を奪われてしまったようだ。
親が死んでから義理の兄弟同士の間が不和になり、墓参すらもあえて日時をずらして行うために、今年はもう○○は来ましたか？とか尋ねる双方。片や自分側から見た不快な感情を吐露することでそれなりに気持ち良く帰路につく。対立するもう一方側も前後して別の視座からの感情を曝け出し、自らの心的平衡を保って帰っていく。年を取って頭が少しおかしくなった母親の奇異な行動を事細かに伝える娘。彼女は子供の頃からよく母親と共にお寺に通い、いまや中年になって自らの母親の昔を越えた年になっている。悲しく諦めるでもなく静かに淡々と事実を連ねる生のリアリズム。昔から檀家にとってお寺はカウンセリングとヒーリングの場でもあったわけだが、今も昔も普通の神経では住職やその代役はできない大変な仕事なのだろうと痛感する。
語学学校を経営している先生が、外国からの留学生のほんの１部が学校にも通わずよからぬ事件を起こすのだが、海外から来て真面目に勉強している良家の子女たちまで同じように見られて、アパートに入ることすらままならない現状や、当局側からは５％の不良な学生、つまり５０人の内から３人まともでない学生が出たら、学校の認可が取り消される可能性に晒されるという話をする。わざわざ入学希望者のいる国まで行き、社会的・家族的背景までリサーチして入学を許可しても、巧妙な偽装組織があって基本的な履歴を詐称したり、常に銀行口座に何十万円もの預金があるように見せかけるために１日だけお金を貸す会社があったりして、とても全てをチェックできないという現実。それでも自分達が未来をも見通して友好関係の一部を構築しているのだという自負と当局の事務的過ぎる対応への不満、などなど。
 もちろんその逆に豊かな幸福感や爽やかな至福感を残していってくれる家族もある。散々辛酸をなめ続けてきた老夫婦が、苦労して育て上げた子供が結婚して可愛い孫を作り、その成長を心から喜んでいる様がそれを語る顔と声のトーンから伝わってくる。兄弟や親族がなくなったばかりの人のしっとりした口調や、結婚して海外に言った娘がかわいい金髪の孫を連れて一時帰国した時の幸せな騒動・顛末記。孫の成長の喜びは生きて見なければ分からないと言う老婆の本音のこもった満足そうな顔。お茶を入れているだけで、冠婚葬祭という言葉がただの言葉でなく、様々にふくよかな色あいと時間の重みを持って伝わってくる。
おそらくもう２度と通ることのない路地を歩きながら、そこでずっと生活をしている人たちのことを想像する時の不思議な感覚。それにも似たこの、問わず語りを漏れ聞く時の気持ちの位相。言葉の喩え以上にはみ出して、前世の記憶とか、その場に記録されている思念とか、今こことは異なる多重世界の自分の意識と交差するとでも表現したくなるような感覚。自分の外部にある情緒や情感の流入とでも表現したい、身に覚えのないが懐かしい感覚。この感覚に身を浸すことはとても心地よく癒される。しかしここにはまり込んでしまって執着するとなかなか抜けられなくなり、通常の生活が味気なく現実味がなくなったりするのだろう。
たくさんの人の様々な意識や感覚がリアリティを持って共感できる意識がありつつも、同時にそれは幻影幻覚でもあるということを失念しないようにしなくてはならない。多重の次元に対しても平衡感覚を保つことにより、初めて全てが豊かに輝き続けるだろう。ニャアと鳴きながら階段から覗き見るお寺の飼い猫ミミコと、同じ目の高さでにらめっこをしてみる。今年で１４歳になるミミコは、深い哲学的な洞察眼でじっとこちらを見つめてくる。見る者は見られる。見る者は見られるということを見る。瞳孔というピンホールを通して覗きあう世界と世界。点と点の合わせ鏡。マヤンのことわざ「インラケチ…私はもう１人のあなた自身である」という体感にニアミスする。その混乱を正すかのように、遠くでよそのお寺の鐘がなる。さて、墓地の掃除をするとしようか。
画像キャプション
左上：本堂の須弥檀側から給湯室側を見る。中央右の木の扉の向こうに猫の額ほどのお茶出しスペースがある。
左下：ミミコ、三毛猫雑種メス。御年１４歳。この猫との真剣にらめっこは外面性以上の鏡との対面に思える。
テラバイト日記（２４７）20040320
|
