（２４２） 新穂高温泉「槍見館」の「槍見の湯」
旅の朝はなぜ早く目が覚めるのだろう。カーテンの隙間から雪曇りの窓の外を覗き見しながらそう思った。屋根の上に高く層をなす積雪と軒下に伸びるつららの大きさが、この山里の温泉街を包む連日の寒さを想像させる。朝食前にもまずは一風呂。ここの源泉名は平湯温泉「おばこの湯」だ。すぐそばの平湯神社横にある源泉からの引湯だろう。泉質は昔の表現で含重曹食塩硫黄泉となっている。湧出量は９６度Ｃの湯が毎分１２０リットル。外の景色が何も見えないが一応露天になっている湯船に注ぎ込むお湯は、外気で温度が下がるからだろうか熱めの内湯よりかなりぬるく感じられる。湯船の底が段々になっているので、端で横になればちょうど体が浸かるほどの寝湯になり、じっくり長湯することもできそうだ。 朝食を取ると食休みする間ももどかしく、小雪の舞うバスターミナルから新穂高温泉行きの路線バスに乗った。山中の雪国を走るバスから見る窓外の景色は新鮮だ。深い山あいの曲がりくねった道から見上げる山肌の木々や、帽子を被ったように頭に雪が積もる谷川の石たち。その上を時折り雪が掃く。福地温泉を縫うように回ってから新平湯温泉を通り抜け、蒲田川に架かる赤い宝橋を渡ると栃尾温泉だ。そこの外湯である「荒神の湯」を眺めながら、バスは蒲田川に沿って新穂高温泉に向かう。中尾高原口のバス停で下車して、眼下に大きな立ち寄りの「新穂高の湯」を見ながら橋を渡って川上に歩くこと５分。３年前にその大きさに感動しながら入った「新穂高の湯」の中では、高校生であろう水着の若い男女数名が楽しそうにはしゃいでいた。 山の斜面にある「槍見館」の玄関を入ると、小奇麗な農家風のロビーがあった。個人的には宿の造りや料理は二の次で先ず温泉ありきなのだが、それでも新潟の庄屋屋敷を移築したというこの木造２階建ての居住まいは印象的だった。フロントで立ち寄り湯の手続きをしてから川原へと続く階段を降りて行くと、雪が積もった庭園風の空間には７つの露天風呂があった。有名な「槍見の湯」（混浴）を始めとして、男性専用の「山男の湯」、女性専用の「女神の湯」、そして入り口の板札を「入浴中」にひっくり返せば貸し切り風呂になる「岩見の湯」「森の湯」「渓流の湯」「播隆の湯」だ。実は出発前には「槍見館」は人気の宿だから、あまり混雑していない時にせめて「槍見の湯」だけにでも入れれば良いのだがと思っていた。しかし冬季で平日の午前中だからなのだろうか、今目の前には他に客が誰もいない。つまり独占状態なのだ。 迷い箸ならぬ至福の迷い湯状態である。先ずは蒲田川に一番近い「渓流の湯」をば。ジャグジー付きの８角湯船に浸かって、雪景色の川原を眺めながらゆっくり温まる。続いてすぐ隣にある「森の湯」に衣服籠を抱えながらほとんど裸で移動する。こちらは建物の内部に打たせ湯や腰掛や滑り台があり、外の雪明かりとの対比で暗い内部に湯煙が溢れている。屋根と大きな岩に囲まれた「岩見の湯」は隙間から雪景色が見える洞窟に入っているような印象だ。ここの湯船だけでも充分に広い。そして美味しいものは最後に食べるタイプの私としては、最後はやはり「槍見の湯」である。 あいにくと山に雲が掛かっていて槍岳はおろか他の穂高連峰も見えないが、それでも雪景色に囲まれた絶景露天には変わりがない。熱めの湯からはそれだけでも寒さを感じないほどの湯煙が湧き上がる。もう１５年以上前からことあるごとに「温泉だったら絶対に『露天・混浴・掛け流し・無料（廉価）』がベストである」と唱え続けてきたが、その確信は深まりこそすれ揺らぐことはない。温泉は世界に開かれる２１世紀の文化の１つとなるのではないだろうか。温泉をかように愛する人種を他には知らない。日本という国家体制が消滅しても、温泉文化やアニメーションやマンガは残るだろう。いや何もかもがなくなったとしても、温泉が残ればさほど問題ではない気もしてきた。 どうも湯に浸かりすぎて、知らぬ間に脳内がのぼせてしまったらしい。名残惜しいが再訪を心に期してを去ることにしよう。午前１０時から午後３時までが立ち寄り入浴の時間だが、主にこの時間帯に宿側が湯船を清掃するので今回は入れない湯もあった。「槍見館」にはこのほかにも宿泊客専用の総檜造りの２つの内風呂「かかの湯」と「ごての湯」があり、離れには部屋付きの露天風呂もある。宿泊者にはその全て（部屋つき露天は別）が２４時間解放されているのだから、いずれ深夜に湯船に浸かりながら星空を眺めに来たいものである。 画像キャプション 右上：「槍見館」の「渓流の湯」にて。この蒲田川に一番近い風呂は、８角形の中央からジャグジーがでている。 左上：同じく「岩見の湯」。外は雪なのに広い穴倉の中のように落ち着く空間だ。注ぎ込む熱い源泉が心地よい。 右中：開放感溢れる「槍見の湯」。対岸の雪越しに定期バスが行く。湯と雪と静寂と…。言うことは何もない。 左下：温まり帰路に着く途中で槍見館を振り返る。この道をまっすぐ進むと、新穂高の湯がある橋の上に出る。
テラバイト日記（２４２）20040202-1
BITE-243
旅の朝はなぜ早く目が覚めるのだろう。カーテンの隙間から雪曇りの窓の外を覗き見しながらそう思った。屋根の上に高く層をなす積雪と軒下に伸びるつららの大きさが、この山里の温泉街を包む連日の寒さを想像させる。朝食前にもまずは一風呂。ここの源泉名は平湯温泉「おばこの湯」だ。すぐそばの平湯神社横にある源泉からの引湯だろう。泉質は昔の表現で含重曹食塩硫黄泉となっている。湧出量は９６度Ｃの湯が毎分１２０リットル。外の景色が何も見えないが一応露天になっている湯船に注ぎ込むお湯は、外気で温度が下がるからだろうか熱めの内湯よりかなりぬるく感じられる。湯船の底が段々になっているので、端で横になればちょうど体が浸かるほどの寝湯になり、じっくり長湯することもできそうだ。
朝食を取ると食休みする間ももどかしく、小雪の舞うバスターミナルから新穂高温泉行きの路線バスに乗った。山中の雪国を走るバスから見る窓外の景色は新鮮だ。深い山あいの曲がりくねった道から見上げる山肌の木々や、帽子を被ったように頭に雪が積もる谷川の石たち。その上を時折り雪が掃く。福地温泉を縫うように回ってから新平湯温泉を通り抜け、蒲田川に架かる赤い宝橋を渡ると栃尾温泉だ。そこの外湯である「荒神の湯」を眺めながら、バスは蒲田川に沿って新穂高温泉に向かう。中尾高原口のバス停で下車して、眼下に大きな立ち寄りの「新穂高の湯」を見ながら橋を渡って川上に歩くこと５分。３年前にその大きさに感動しながら入った「新穂高の湯」の中では、高校生であろう水着の若い男女数名が楽しそうにはしゃいでいた。
迷い箸ならぬ至福の迷い湯状態である。先ずは蒲田川に一番近い「渓流の湯」をば。ジャグジー付きの８角湯船に浸かって、雪景色の川原を眺めながらゆっくり温まる。続いてすぐ隣にある「森の湯」に衣服籠を抱えながらほとんど裸で移動する。こちらは建物の内部に打たせ湯や腰掛や滑り台があり、外の雪明かりとの対比で暗い内部に湯煙が溢れている。屋根と大きな岩に囲まれた「岩見の湯」は隙間から雪景色が見える洞窟に入っているような印象だ。ここの湯船だけでも充分に広い。そして美味しいものは最後に食べるタイプの私としては、最後はやはり「槍見の湯」である。
どうも湯に浸かりすぎて、知らぬ間に脳内がのぼせてしまったらしい。名残惜しいが再訪を心に期してを去ることにしよう。午前１０時から午後３時までが立ち寄り入浴の時間だが、主にこの時間帯に宿側が湯船を清掃するので今回は入れない湯もあった。「槍見館」にはこのほかにも宿泊客専用の総檜造りの２つの内風呂「かかの湯」と「ごての湯」があり、離れには部屋付きの露天風呂もある。宿泊者にはその全て（部屋つき露天は別）が２４時間解放されているのだから、いずれ深夜に湯船に浸かりながら星空を眺めに来たいものである。
