078bite

　誰が何と言おうと、私は頑固一徹な猫のしもべである。そんな猫狂いなまでに猫好きな私は、久しぶりにデジカメで心ゆくまで猫を撮りまくるという快感の予祝で体を一杯にしながら、緩んだ午後の江ノ島に出かけた。いつもの通り聖天島公園には多くの見慣れた猫がいた。多くの猫の顔と毛並みがゆっくりと動いてる。今日は１匹１匹の表情を撮りたかった。コンビニでミルクを買って、あいさつがわりに飲んでもらう。ここの猫たちは本当に人間に対して媚びも恐れもせずに、伸びやかに生きている。

　今日初めてこのあたりの猫マスターを見た。猫たちにまぎれてデジカメを操作していると、突然いっせいに猫達が一方向に足早に集まって行き始めた。その方向を見ると、いっぱいのリュックサックを重そうにギュッギュッときしませながら、１人の痩せた中年男性が公園を横切ろうとしていた。その背中の荷物は猫のエサらしい。

　そちらに目を取られていると、背後から「あら猫ちゃんたち、ミルクをもらったの？いいわねえ」という声がした。こちらもまた猫エサを一杯抱えた中年女性だった。もう１人の猫マスターだ。こちらにも猫たちがわらわらと集まってくる。私はあっけにとられたまま、餌を食べようとしている猫たちを黙って見詰めていた。男性マスターが「子猫の声がする」と、女性の猫マスターに言いに来た。この２人は夫婦なのかも知れない。「子猫がいるわけはないわよ、ここの猫はみんなちゃんと処置してあるはずだもの」と女性が言う。

　処置とはもちろん去勢手術のことだろう。そういえば確かにここの猫達はみな中性的で穏やかだ。安城の猫モモコを思い出す。鳴き声のする方に行ってみると、確かにダンボール箱の中にタオルが敷かれ、その上にまだ目が開かない５匹の子猫が、ひとかたまりに寄り添って鳴いていた。誰かの手によってここに捨てられたのだ。母親猫からはるかに引き離されて…。

　「このままでは乳も飲めぬままみんな死んでしまう」と近くにいた青年が、女性の猫マスターに言った。「子猫には牛乳を飲ませない方がいいですよ。腸内の有益な菌が牛乳の油質でみんな殺されちゃうんです。自分も猫好きなのでこれは放って置けません」と言うと、彼は飲ませてもいいミルクを買って来ると飛び出して行った。女性の猫マスターは近所の割烹店の店員さんたちに相談しなくてはと言いながら、カラスたちにつつかれないようにと、ダンボール箱から発泡スチロールの箱に子猫たちを１匹１匹丁寧に入れ替える。

　生まれたての鼠を見たことがあるが、そのように無力な捨て猫の出現で、いつもとは違う波紋が公園内に広がっていった。その中でも驚いたのは、好奇心がある数匹の猫が、ダンボールの中の子猫を観察にやってきたことだ。１匹ずつ順番に恐る恐る覗き、その温かい有機体の塊にゆっくり近づいては匂いを嗅いだり、ダンボールの角をかじったりして、やがて順番待ちしている次の猫にその場を譲って去っていく。なぜかこの優しげなお節介猫たちは、みんな白と黒の２色ブチばかりだったのだが。私は邪魔にならぬようゆっくりとその場を離れ、江ノ島の山の上の方にいる猫の集団も撮影しようと考えて急な階段を登った。

　江ノ島神社の中の宮近くまで来てから振り返って見ると、眼下遥かのヨットハーバーと神奈川女性センターに挟まれるように、小さな聖天島公園があった。点のように見える誰かが、まだあちこちに動き回っている。猫たちは小さすぎてよく視認できない。ここからでは全体を見ることができる代わりに、直接は何も手を出せない。関与しようと思えばこのビジョンを放棄して、あそこまで降りて行かねばならない。遠景には三浦半島が光を浴びていた。今日は曇天なのに、今だけ日が差している。

　公園の猫たちの声は聞こえない。すると突然、背後から猫の声がした。そうなのだ、ここ江ノ島では頂上近くの公園にも猫たちがいる。ベンチに座ると猫が寄ってくる。ミルクの残りを与えながら、ゆっくりデジカメを向ける。一番さきにミルクを飲んだ猫が、あの猫独特の両前足で私のひざの上を揉み慣らし、そこに収まって丸くなる。その表情はなんと人間くさいのだろう。日差しはまた翳ってしまった。

　私はそのひざの上に丸くなる猫に自由を奪われて、ベンチでゆっくりと猫マスターたちと生まれて間もない子猫たちのことを思った。山頂近くの公園に高い鉄塔を立てる作業員たちの声がする。猫の島、去勢された猫の島。そしてわざわざここに子猫を捨てに来る者が入る。ここならどうにかしてくれるだろうと甘く考えてのことだろう。猫はこのままでは死んでしまうというのに。

　まだ自らミルクを飲めない仔猫たち。カラスに見つかると即座に殺される子猫たち。優しい去勢猫と、近所の人たち。スポイト、脱脂綿、猫用粉ミルク。この高みからは、それらの区別すらつかない。遠く汽笛が鳴る。さあ、またあの公園に下りていこう。高みの視座の全体性と平地の視座の詳細性を交換し、重ね合わせて、そしてさらなる１つとするために。１，２，３，４…、そして５即ち新たなる１。

テラバイト日記（７８）20020418-1