＜２１＞

　怒りと共に再び鎌首をもたげたグリスヒェンは、白い液をしゅうしゅう吹き飛ばして、林の木々をかたっばしからこなごなにしていきます。ジュリアンがまた弓をつがえようとしていると、グリスヒェンはすかさず長い尾で蹴散らしてしまいました。腹の底まで凍りつくような凄い声を立てて、その怪龍は迫ってきます。長い長い尾をぶんぶん振り回してはジュリアンをなぎ倒そうとし、ジュリアンはそのつど機敏に身をかわさねばなりませんでした。シェリーは主人の危機を悟ると、また前のようにぴょんぴょん飛び回って火薬を撒き散らしました。シェリーの新発明の火薬散布にはもう少し時間がかかりそうです。しかしジュリアンの体力も永遠には続きません。少しずつ少しずつ、ジュリアンの動きがにぶってきました。

＜２２＞

ヴィオリッタは詩人をひざに乗せて、緋色のくるみをカチカチと打って温め続けていました。やがて気がつくと、詩人はがばっと起き上がり、外を見ました。そして状況を瞬時に把握すると、彼はシェリーと逆の方向に走りだしました。グリスヒェンの注意を自分の方に引こうとしたのです。案の定、グリスヒェンはその勇敢な行為に気づき、ジュリアンをいたぶるのをやめました。そしてくわっと口を開け、白い息をふうーっと吹きかけました。詩人はすぐに緋色のくるみを出して打ち鳴らそうとしました。しかし腰にはいつもの火打石がありません。それもそのはずです、二つの緋色のくるみはまだヴィオリッタが持ったままだったのです。あわれ詩人は徒手空拳のまま、きらきらと輝く氷の柱になってしまいました。

＜２３＞

　その間にシェリーはどうにか火薬をセットし終えて、自分の肉球の間の冷たい汗をぬぐいました。ジュリアンは炎の剣をかざしつつ、じりじりとグリスヒェンに近づいていきました。グリスヒェンの吐く白い息も白い液も、その剣のところまで来ると真っ二つに分かれてしまい、ジュリアンまで届きません。再びグリスヒェンはその長い尾をゆらゆらと動かし始めました。そしていきなりブンッと空を切ったかと思うと、ジュリアンの体は１０メートルほど右へ吹っ飛びました。ああ、危ないっ！と叫んで思わず身を乗り出したシェリーは、足を滑らせてざんぶと川に落ちてしまいました。ひいおばあちゃんの毛皮もろともずぶぬれです。さあたいへん、シェリー自慢の火薬に火がつけられなくなってしまいました。

＜２４＞

　ジュリアンは炎の剣のおかげで、白い息と白い液で凍りつきはしませんでしたが、グリスヒェンの長い尾で二度三度と吹っ飛ばされてしまい、もはや立っているのもやっとです。今度はじりじりと後ずさりするのはジュリアンの方です。そんなジュリアンを見て、片目になったグリスヒェンは今にも前足で踏み潰しそうです。凍るような水からあがった哀れななりの天才猫は、クシャミをしいしい大声で言いました。
「そこの黄色い火薬のはしに火をつけて。火をつければいいんです。そうすればグリスヒェンであろうと、吹っ飛びます。火を…」
そう言うが早いか、天才猫はまた足を踏み外し、川の中に転げ落ちて、冷たい水をがぶがぶ飲みました。

＜２５＞

　ジュリアンにはもう、その黄色い火薬のところまで行く力が残っていません。かといってこのまま立っていても力尽きて倒れるだけです。思い切って伸び上がると渾身の力をふりしぼって、炎の剣を火薬のはしめがけて投げつけました。グリスヒェンはあわてて長い尾でそれを叩き落そうとしましたが間に合いません。グサッと炎の剣は雪の上に突き刺さりました。しかし残念なことに、あと数十センチの差で火薬まで届きませんでした。絶対絶命です。グリスヒェンは冷たい表情でニヤリと笑いました。そして素手で立っているのもやっとのジュリアンに向けて、ゆっくりと緑色の口を大きく開けました。口の周りの白い煙が口の中に吸い込まれていきます。そしてやがてそれはジュリアンに向けて一気に吐き出されるはずです。ジュリアンはひざをつき、勇ましくも観念しました。

＜２６＞

　一部始終を木のほこらの中から震えながら見ていたヴィオリッタは、怪龍が兄を殺そうとしているのを見ると恐れも何も忘れて立ち上がり、手にしていた緋色の火打石を投げつけました。それは七色に輝くうろこに当たって跳ね返ると、黄色の火薬の上でぶつかり合い、緋色の火花を起こしました。するとしゅるしゅると火煙が走り回り、次の瞬間グリスヒェンの真下で大爆発が起こりました。そしてそのその大音響と共にグリスヒェンの体は真っ二つに裂けたのです。ヴィオリッタは爆煙の中を駆けていき、雪に刺さった炎の剣を引き抜くとジュリアンに手渡しました。ジュリアンは体中から最後の力をかき集めると、死にかけてのたうっている怪龍の眉間に炎の剣を突き刺しました。断末魔の大音声を谷にこだまさせて、とうとう最後の怪物グリスヒェンも果てたのです。それを物陰から見ていた、手下のザコ怪物たちはあわてふためいて四散霧消しました。ジュリアンは疲労と緊張から解放されると、糸が切れたマリオネットのようにその場に崩れ落ちました。戦いの終わった後の雪の谷は音もなく、雪煙が静かに流れていました。

＜２７＞

　天才猫シェリーは涙と鼻水で顔中びしょびしょになりながら、寒くて失神しそうなまま川からはいずり上がってきました。体中濡れねずみよろしく哀れなありさまで、歯をガチガチいわせながらヴィオレッタのところへ戻ってきました。みんな散々のていでしたので、ヴィオリッタは気絶するわけにいかず、気丈にみんなの世話をして回りました。まず炎の剣でシェリーをなで回すと、その形見ともども元のふかふかの毛皮に戻しました。そしてシェリーはひいおばあちゃんの毛皮で、カチンコチンの氷の柱となってしまった詩人をていねいにこすり、生気を取り戻させました。ヴィオリッタは緋色のくるみで優しくジュリアンを温め癒しました。炎の剣を手にしたジュリアンは見る見るうちに元気を取り戻すと立ち上がりました。そしてヴィオリッタの心配そうな無垢のまなざしはまた、己が生命にはさほど執着を持たない詩人の魂を、しっかりこの世に呼び戻したのでした。

＜２８＞

　周囲は雪がずいぶんと溶け流れ、凍っていた川もまた流れ始めました。北の砦も青白い氷が溶け流れ、元の姿を取り戻しました。すると溶け流れた雪や氷の下から、まるで魔法が解けたかのように次々と兵士が姿をあらわしました。シェリーはその一人一人を毛皮でこすって息を吹き返させてやりました。しかしその兵士達の中にはジュリアンとヴィオリッタの三人の兄たちはいませんでした。ジュリアンは困り果てていると、ヴィオリッタが知っていると言いました。コウモリの化け物ヨリンゲルにさらわれてきた時、砦の地下室で見かけたと言うのです。ジュリアンは砦の地下室に行ってみました。

＜２９＞

　三人の兄である、第一王子ダーヴィド、第二王子ヨアヒム、第三王子マイロンは、砦の最下層の地下室で折り重なって死んでいました。ジュリアンは死神からもらったビン詰めの魂を内ポケットから取り出してみました。どうやらその魂も凍っているようなので、炎の剣でゆっくりと解凍してから、間違いのないように確認しつつ三人の兄に飲ませました。ラベンダー色のビンからはダーヴィドへ、オレンジ色のビンからはヨアヒムへ、そして空色のビンからはマイロンへ。すると嘘のように三人は生気を帯びて生き返りました。彼らはあの三匹の怪物（みんなメスでした）に結婚を迫られて、おまえらと結婚するのなら死んだほうがましだと言って、本当にさっさと死んでしまったのだそうです。いやはやなんともはや…。

＜３０＞

　三人の兄王子に兵士達と砦の後始末を任せると、詩人と天才猫とジュリアンとヴィオリッタは、また流れ出した川にいかだを浮べて帰路に着くことにしました。いかだは天才猫シェリーの手になったものであることは、言うまでもありません。以来、炎の剣はずっとジュリアンのものになりました。そして詩人はこの冒険を、後に童話物語として人々に伝えることになるのでした。