《８》朝のＪＲ明科駅

　先ずはＪＲ篠ノ井線に乗り長野へ。そこから信越本線上りに乗り換えて高崎へ。そしてさらに両毛線に乗り換え、昼の12時半までに前橋に必着の事。それがヒロミちゃんの今日の予定。そのためにはアサリちゃんに愛車を駆ってもらい、明科駅８時25分発長野行に乗らなければならない。
　リーコちゃん御作の焼き立てパンと野菜などで朝食を取ると、ヒロミちゃんは支度を終えて、アサリちゃんの車に乗り込む。私も今日は当初の予定通り、駅で電車の時間を見てから、早めに帰京しようと思っていたので、お世話になったリーコちゃんに慌てててあいさつをすると、後部座席に滑り込んだ。
　リーコちゃんはすてきな笑顔で「いつでもウェルカムだからね、また来てね」といってくれた。ベノアはもうバイクで仕事に出掛けていた。

　リーコちゃんに別れを告げて、急な坂道をいきなり登り発進すると、20ｍほどの所でいきなりそれ以上進まなくなった。オートマチック車なので何をどうしたらよいのか、アサリちゃん自身も良く分からず、ヒロミちゃんはいきなり電車に間に合わないのではないかという恐怖にさらされる事になった。第１のパニック。
　結局アサリちゃんはどうしたらいいのか走ってリーコちゃんに聞いてくると、私とヒロミちゃんに後ろから車を押させつつ、どうにか坂道を登り切る事ができた。山を下って平地に出てからの、駅まで10キロほどの一本道は、朝のラッシュで混んでいてなかなか進まなかった。だんだん時間に間に合うかどう怪しくなってくると、ヒロミちゃんが「うあぁーっ、もうだめかもしんないーっ！」と騒ぎ出す。第２のパニック。
　アサリちゃんはそんな彼女のノリを良く知っていて、「ヒロミちゃんはいつも自分でドラマチックにしているんだよ。今回だってもっと早く家を出ると言えばよかったのに」と、全然慌てていない。だめな時はだめ、うまく行く時はうまく行くと、悟り切ったような表情だ。

　それでもどうにか明科駅のそばの信号までくると、電車はすでにプラットホームに入って来ようとしていた。最後のパニック。ヒロミちゃんは路上でドアをあけると荷物を担ぎ、おもむろに駅に向かって走りだす。私たちはどうにか駅前のロータリーに車を付けて、駅の改札口に走って行ってみると、ちょうど電車が発車するところだった。　

　「どうやらぎりぎり間に合ったみたいだね。」と私。
　「あのコはいつもあんな感じで、席に着いて一安心してからようやく、本当にドキドキし始めるんだよね。」とアサリちゃん。
　「ヒロミちゃんはその教員養成のセミナー合宿みたいのを終えてから、宮沢賢次の学校の先生になるのかなあ？」。
　「ううん、先生には成る気ないんじゃない。ただ自分が何を求めているのか知りたくて参加するんだって言ってたし。」

　なるほど、彼女もまた自分捜しの長い旅の途中だったわけだ。今頃列車のシートに腰を落ち着けて、心臓をバクバクいわせているであろうヒロミちゃんを思うと、ちょっとおかしかったけれど、それでも私は心の中で「頑張れよーっ！」と声援を送った。

　その後、私は電車の上りをチェックして、東京に電話をしようと思ったのだが、駅前の電話ボックスはずっと独占されっぱなしでなかなか空かなかった。私とアサリちゃんはそこの風と光が気持ちいいので、駅前の階段に座ってひなたぼっこをしていたのだが、そのうち道のむこうにも電話があると、アサリちゃんが指さして教えてくれた。私は東京ではまだ朝早い時間だなと思い、ふと長野市の横島クンのところに電話をかけてみる気になった。
　彼と嫁さんの恵理子さんと私は、10年近く前に吉祥寺で共同生活をしていた時期があり、その後も今から３年ほど前に彼らが長野に引っ込むまでは、三鷹で彼らの２人の子供とよく遊んだものだった。
　「近くに来たので電話してみたよ」と言うと、出勤前のややこしい時間だというのに「久しぶりじゃない、おいでよ。来てとにかく話をしよう」との返事。私は彼らの２人の子供に遊びにいくからねと約束していながら、それを全然はたしていないのがずっと気になっていたので、電車の時間をチェックして長野市に行く事にした。
　電車の時間まであと１時間近くあるので、アサリちゃんにはお礼を言って別れた。彼女はリーコ＆ベノアのところに一月ほど住み込んで、そこで料理をしたり、ものを描いたりする予定だという。空を見上げた私は、雲ひとつない快晴に浮かぶ太陽の光に鼻の奥をくすぐられて、３回クシャミをした。今日もまた暑くなりそうだった。

11(スペクトル)の月18日／ＫＩＮ２６　　白い宇宙の世界の橋渡し／Ｇ暦５月19日　or 19950519